この日之本の国では、
農耕によって国が立ったからだろう、春が一年の始めでもあり。
森羅万象のことごとくに宿る聖なる力、
八百万の神々からの、尊き御助力あっての営みと、
それへの報告や感謝を表す行事が
一年を通じて目白押しとなっているその最初の頃合い。
雪の下からお顔を覗かせた大地や水、
大気は光を讃え、穏やかな温気を満たし。
人々はようやくの春の到来により、
頑なに縮めていた総身へと、精と力とを込め始める。
……はずなのだが。
昨年がそうだったのに輪をかけて、
この冬もまた長々と極寒や底冷えが続き。
雪には耐性があるはずな北領でさえ、
人死にが出るほどの大雪に見舞われたがため。
都の人々へは極秘裡に、
雪を排除する部隊を検非違使の猛者らで編制し、
次々に送り出したほど。
迅速な対応が適ったのは、
これが一時的なものではないこと、
神祗官猊下が特別な占式術にて察知したためとされ。
さすがは武者小路の筆頭様よと、
内々ながらも称賛の声が立っていたものの、
「あれって そもそもは、
お師匠様が葉柱さんとか阿含さんからのお話しを訊いて、
それでやっと、危険だっていう詳細までが判った事態ですのにね。」
多くの公家らの腹の内は…といやぁ。
神祗官様を誉めそやすることで、
間接的にその補佐殿を
『それに引き換え、貴公はほんに役立たずな』と、
今回、何の働きも見せなかった彼をば貶めたいのに決まってる。
素性も卑しき、市井からの成り上がり者のくせに、
公家という上流階層を恐れもせず、堂々と生意気な口を利き。
しかもしかも口惜しいことには、
卜占や咒、その他の学問も完璧に修め、
実際の破邪念術に於ける実力も備えている、凄腕の術師殿。
日頃からそりゃあ鮮やかな采配を見せ、
当代一の実力を持つ身と、
彼を登用した今帝のみならず、
選りにも選って上役の神祗官様にさえ言わしめたほどというから。
これまで何でも侭に出来たはずな権門にとって、
どんだけ歯が立たない強敵であったことかも知れて。
それゆえに、
そんな家々の使用人たる仕丁らまでもが、
事情も知らずにこちらを小馬鹿にするのですよと。
こっちは事情もようよう知ってる書生の少年なぞ、
柔らかそうな頬を真ん丸に膨らませての、
激しく“おかんむり”だったりするのだが、
「まま、たまには あやつらへ溜飲を下げさせる必要もあろうさ。」
当の本人は飄々としたもの、
「ですが…っ。」
「あのな、セナ坊。」
まだ何か言いかかった坊やへと、
こちらは黒づくめの装束に身を固めた侍従殿が、
横合いから声をかけて来、
「それでは、こたびの働きの切っ掛けになった様々な情報、
この蛭魔がもたらしたものだと知れ渡ってたらどうなったと思うね。」
「それは…。」
関係筋の中には素直に腰を上げない者があったやも知れぬ、
必要な物資を差し出せとの令も、
なかなか隅々にまで届かなんだかも知れぬ。
そのうち、
何か裏があるのでは?との疑いを膨らませる一派が出て、
あらぬ謀反の疑いまで生じかねなかったかも知れぬ…と。
そこまで言われて、なのに、
「そりゃあ いいや♪」
「お師匠様。笑い事では…。」
目映い陽のふりそそぐ濡れ縁にて、
からからと全開で笑った蛭魔だったのは、
彼を登用した帝に逆らうなどという“本末転倒”な愚行さえ、
あの愚かな公家どもならば
思いつきかねぬと言いたくての大笑いだったらしく。
お膝に抱えられていた仔ギツネ坊やが、
「…お、おやかましゃま?」
あまりに快活、底抜けという勢いで大笑いした蛭魔へ、
唖然とし当惑気味に頭上を見上げたほど。
「第一、一応は手柄よ誉れよと認められたとしても、だ。」
それはそれは豪快に笑い転げたご当人も言葉を足したのが、
「じゃあ、次もお願いと、
尚の賢明なる働きを期待されるなんてのは、
けったくそ悪い話じゃねぇか。」
「…………っ☆」
それでなくとも、
日頃の表立っては“下賎な卑しきものよ”と見るくせに、
いざ何かしらに憑かれたと思や、
一番アテになると知っていてのこと、
外聞もなく駆け込んで来るよな いい加減な連中だからの、と。
恥知らずな輩の思惑の浅さへこそ、
その口許、かすかに歪めて見せてから、
「そんな輩に、
かりそめにでも有り難がられるなんざ、
気色が悪いだけで何の得にもならんというワケさね。」
むしろ、セナが憤懣やるかたなしと怒った可愛げのほうが、
見ていて面白かったぞと、
くすくす笑ってしまわれるお師匠様なのへ、
「もうもう、知りませんっ。/////////」
誰のために怒ったのだか、
それをこそ笑われただなんてと。
ますますのこと真っ赤になってしまったセナだったのへ、
色白痩躯な主人も精悍な黒の侍従も、
ついのこととて、声を揃えて頬笑んだ。
◇
かように、得体が知れぬことを指し、
外聞風聞で どのように軽んじられ、はたまた恐れられようと、
当事者たちは めっきりと
“どこ吹く風よ”との鷹揚さにて過ごしておいで。
そういう繊細さには縁のない無頓着からか、
それとも“あるようにあれ”との放任か。
草の生えるまま伸びるまま、
そして枯れるままにしておいでの庭先にも、
さすがにこのところの陽気にあっては、
下生えにも茂みにも、それなりの青き息吹が顔を覗かせてもおり。
梅や沈丁花の甘い香りが仄かにしていたここ数日、
そこへと別な香りが加わったような気がしたか、
「うっとぉ…。」
小さな家人が、ふわふさなお尻尾の先、
ひょこひょこと宙に踊らせつつ、
どこだろどこだろと あちこちを見回しておいで。
「くう?」
いかがしたかと声を掛けられ、
陽だまりの温さに微睡みかけていたおやかま様のお膝まで、
たたたっと軽やかに駆け戻った仔ギツネ様、
「あんねあんね、何かいいによいする。」
「匂い?」
そおなのと、こっくり頷く坊やだが、
人や魔物の気配ならともかくも、
“匂いねぇ…。”
そういう“五感”にて拾うものへ関してとなると、
天狐という特別級の精霊でもある坊やの感覚に、
人間にすぎぬ蛭魔では並ぶことさえ難しく。
そこへ、
「もしかしてこれではないのか?」
ちょうど、庭の片隅の辺り、
見上げるほどでもない高さの節槫立った樹があるその根方から声がして、
「おととしゃまvv」
しばし席を外しておったらしき、黒の侍従殿がその姿を現しておいで。
小さな坊やが“わーいvv”とばかり、
後ろ頭へ高々と結い上げた、仔馬のお尻尾のような甘栗色の髪、
ぴょこぴょこと撥ねさせつつ駆け寄ったの、
よーしよしと受け止めてやれば、
「おう、同族どもは起きておったか?」
こちらは少しも動かぬまま、
そちらが歩み寄って当然と待ち受ける術師殿。
それでもそうと訊いて来たのへ、
「ああ。順次、つつがなくな。」
そのほぼ殆どが、冬の寒さは冬眠という眠りの中にてやり過ごす眷属たちが、
そろそろ春の陽気の中へと這い出す頃合い。
日数で起きる者もいれば、陽気に起こされる者もいるそうで。
そんな蜥蜴らの総帥である葉柱としては、
仲間たちが支障なく冬を越せたかどうかが、
当然のことながら気になっていたらしく。
殊にこの数日ほど、寒暖の差が目まぐるしく乱高下したものだから、
這い出したはいいが、そのまま凍ってしまっちゃあいなかろかと、
顔には出さねど随分案じてもいたらしい。
そんな心配性な総帥殿へ、
「自然の和子らだ、お前がやきもきするほど柔(やわ)じゃなかろうよ。」
こんの親ばかがと、蛭魔としては容赦がない。
「ひ弱な個体が淘汰されるのは、自然の理(ことわり)。
いくら余裕があってのこととはいえ、
いちいち慈悲の手を延べてちゃあ、
結句 滅びる因子を助長させる結果しか招かねぇぜ。」
そういうところは やけに人間臭いよなお前と、
揶揄するように言う蛭魔だが、
“そうと言いつつ、こやつとて……。”
人とは異なる能力を持って生まれ、
それを周囲へ認めさせたくば、
孤軍奮闘してでも自分で這い上がるべき和子を。
なのに、時にはその身をもって、やさしく庇護しているくせに。
気づいていないか、
それともそういう馬鹿は自分だけでいいとの婉曲な揶揄か。
「おやかま様、こえ何ぁに?」
似た者同士の主従二人、苦笑混じりに陽だまりを透かして見やっておれば、
その狭間の空気にさえ気づかぬまま、
小さな坊やがその小さな、
ぎゅうひ餅の細工もののようなお手々で、頭上の花を指さした。
白くて少しほど大きめの六花弁のその花は、
さほど強く匂っている風でもなく、
「辛夷(コブシ)だよ。」
「こぶしゅ?」
花の形も咲く時期も、
どこか似ている木花の“木蓮”のお仲間だそうで、
「こいつはの、花ではなく枝からいい匂いがするのだと。」
「ほえ?」
そうかといって“ほれ”と折って見せるでないまま、
せめて嗅いでごらんなと、葉柱からひょいと抱き上げられて。
間近になった枝を、くんすん、嗅いでみた仔ギツネさん。
「…うと、うん。いいによい すゆvv」
にぱーっと微笑ったいい子へ、
そうかそうかと笑い返した主従二人だったものの、
『ただなあ、
あの樹は蝦夷の方の民には“放屁の樹”と呼ばれておってな。』
『へ…?』
そうそれだと指さす蛭魔だったのへ、
いやシャレのつもりで言ったんじゃあないのだがと、
微妙に鼻白んでしまった葉柱だったのは。
それから更に刻の下がった頃合い、二人きりとなった宵のこと。
そして、そんな説を聞いてしまったものだからか、
可憐な白い花を見るたび、
何とはなく複雑そうなお顔になってしまう葉柱を。
こちらはこちらで笑いをこらえて眺めやる術師だったの、
「???」
何だ何だ、
また何か内緒ごとで侍従殿の純粋純情なところをからかっておいでかと、
セナくん辺りから察知されてりゃ世話のない、
そんなこんなな あばら家屋敷の春先一景でござったそうな。
〜Fine〜 11.03.29.
*春先の花といや、辛夷の花も奇麗ですよね。
でもでも この花、
アイヌの皆さんには“放屁の木”と呼ばれているそうな。
そこまで北の話まで御存知の蛭魔さんだとしたかったんですが、
何か途中から微妙に方向が……。(笑)
めーるふぉーむvv 

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